女性との会話で「ホントかな」と疑うことが多くなったような気がします。
ある女性客が毎日晩酌するそうなのですが、どれくらいの量のお酒を飲むのか聞いたところ、「ビールを一缶くらいかな」と言っていました。しかし、話をすすめていくと、翌朝に二日酔いになっていることもあるらしく、「ホントに一缶だけなんですか?」と聞いてみると、「三缶くらいかな〜」と言う始末。
親しく会話をする関係なので、「なんでウソをつくんですか?」と突っ込んでみると、「ウソはついてないです。盛ったり減らしたりしてるだけです」としれっと答えるではないですか。
私にしてみると、″ウソ″に分類されることが、彼女にとっては″ウソ″ではない。この違いはどこにあるのか考えてみたいと思います。
彼女は、先ほどの飲酒に関しては「お酒を飲んでない」とは言っていません。ただ、お酒の量に関しては虚偽の報告をしている。つまり、彼女の理屈からすれば、『盛ったり減らしたり』することは″ウソ″の部類ではないことになります。
『話を盛る』というと、芸人さんが思い浮かびます。話を面白くするために、オーバーな表現をすることは芸人さんにとっては普通のことでしょう。芸人さんにとって一番重要なのは、面白いかどうか。そのためなら″話を盛る″ことに罪悪感などあるはずがありません。
一般的に、女性のほうがおしゃべりで言語能力が高いです。特に女性同士のおしゃべりは永遠と続いていきます。基本、女性は話を否定されるのを嫌うので、話を折るような″ツッコミ″は影をひそめ、「そうよね〜」と話しを肯定し、「それでね…」と自分の話をぶち込んでいくという応酬が繰り広げられていると思われます。その流れでいくと、少々話を盛ったりしても誰にもツッコまれない。″話を盛る″のは、話を面白くするためなのか、それとも見栄のためなのかわかりませんが、女性にとって″話を盛る″ことはごく普通のことなのでしょう。そこに罪悪感などは微塵もない。
一方、理屈っぽい男性などは″話を盛る″ようなことはしなそうです。出来るだけ事実を正確に報告する。警察の事情徴収などでは重宝しそうです。しかし、話が面白いかというと疑問です。
また、男性と女性の違いとして、女性は化粧をします。あれも一種の″盛る″行為ですよね。顔に化粧をして変身することと、話に化粧をして良く見せることはどこか通じるところがありそうです。つまり、″化かす″ことに慣れているのかなと。
そして、ウソに関してバレるかどうかは、罪悪感のあるなしが重要かと思われます。
問い詰められたときなどに事実と違うという認識が本人にあり、そのことについて正直に話すことができないことで罪悪感があるとどうしても態度に出てしまうものです。「やばい」という心の動揺が反射的に身体に表れてしまうので、ウソをついたとしてもすぐバレる。
しかし、″話を盛る″ことに慣れている人は、問い詰められたときでも事実を正確に話さないことに罪悪感はない。なので、態度も普段と変わらないのでウソがばれにくい。
一流の結婚詐欺師は、ウソをつくことに罪悪感など微塵もないと聞いたことがあります。どんな理屈が詐欺師にあるのかはわかりませんが、自分の行為を正当化できている。そのため、瞳をキラキラさせながら心の底から本気でウソ話ができる。騙される側からすると、「あんな瞳がキレイな人が、ウソをついているはずがない」と思ってしまい、コロッと騙されてしまうようです。
ともあれ、″話を盛る″ことが上手になれば、ウソもバレにくくなるし、お喋りも上手になる。いいことずくめのようですが、仕事において″話を盛り″過ぎていると、信頼感が低下する怖れはあります。
私としては、トークが面白くなればいいので、頑張って″話を盛る″ことを実践しているのですが、慣れていないので″話を盛る″ことが下手みたいです。″話を盛り″過ぎてしまいトークが不自然になってしまう傾向あり。
″話を盛る″ことも慣れていないとなかなか難しいものです。