私も初老とも言える年代になってきて、「さて、どんな老人を目指すべきか」などとボンヤリ思ったりもするわけです。そして、周囲を見渡すと、みんなから愛される(イジられる?)爺さんもいれば、煙たがられているこじれた爺さんもいたりします。『こじれた爺さん』の定義は難しいのですが、不平不満を撒き散らしていて攻撃性が高く、かかわると面倒くさそうなタイプです。やはり、私としては『こじれた爺さん』にはなりたくない。そのためにはどうしたらいいのかイマイチ分からなかったのですが、最近そのヒントとなりそうなことを見つけたので、ここでお話ししたいと思います。
そのヒントはある小説の文章にありました。
「人間には″たい″がつく3つの欲求がある。″認められたい″、″役立ちたい″、″褒められたい″」
この3つの欲求のうちの″認められたい″という承認欲求にピーンと来たわけです。「この″認められたい″欲求が『こじれた爺さん』の原因かも」と。
ただ、承認欲求のことを詳しく理解しているわけでもなかったので、承認欲求に関する本を読んでみました。すると、承認欲求は、自分の心の中でも社会の中でも″屈折″している特徴があるようです。″屈折″とは表面化しにくいという意味であり、仕事に関する意識調査の例がわかりやすかったです。それは、「世間からもてはやされる仕事に憧れる」とか「社会的に偉くなりたい」というようなダイレクトな項目だと3%しか選ばれなかったのに対して、聞き方を少し変えて「自分の能力や専門性を高めることで、社会的に認められたい」という項目だと74%に跳ね上がります。つまり、誰でも″認められたい″欲求を隠し持っているのでしょう。
しかし、私の主観ですが、なぜこじれた年配の男性が″認められたい″欲求に満たされていないと感じるのか。たぶんですが、仕事一筋で頑張ってきた男性がリタイアしたとして、その後あまり家庭や地域社会などでの役割がなかったりすると、「俺は役立ってないなぁ」とボンヤリと感じてしまうのではないでしょうか。昔は仕事を頑張ってきて家族や社会に貢献してきたのでしょうが、それは過去であって今ではない。
もしくは、ただ努力もしてこなかったけれども、″認められたい″欲求だけは強いケース。承認欲求には″尊敬″と並んで″自尊″の欲求も含まれているそうです。自尊心はプライドのこと。つまり、年齢が高くなったため、それにつれてプライドも高くなったケース。
じゃあ、こじれないためにはどうすればいいのかと言えば、″たい″がつく3つの欲求の中の″役立ちたい″が大切になってくるのだと思います。″認められたい″欲求が満たされずに不満を感じるのではなく、まずは周囲に″役立つ″ことを率先してやっていく。ボランティアでもいいでしょうし、家事を手伝うのでもいいでしょう。まず行動、実践あるのみ。そんな行動が当たり前になってくると、周囲も自然と″認めてくれる″ようになってくるのではないでしょうか。つまり、″役立つ″ことをやっていれば、″認めて″くれて、″褒めて″くれるようになる。順番としては、″役立つ″ことをすることが最初なのでしょう。
″こじれた爺さん″にならないためのヒントを見つけたので、私も自分に出来る役立つことはないものかと考えているところです。もちろん、仕事をしっかりやるということが一番なのでしょうが、仕事以外でなにかライフワーク的なものがあると将来的によさそうな気がします。
